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古道を歩く
西国街道(その二)
髭の渡し
南北に流れる武庫川が尼崎市と西宮市とに分かち、この川を西国街道は渡し(髭の渡し)で結ばれていました。
武庫川左岸の尼崎側の渡しに今も常夜灯がぽつんと立っています。
今日の行程はここからです
髭の渡しの説明版
武庫村道路元標
師直塚 高師直は足利尊氏の家臣
寺本一丁目の道標
正面 左 妙見 中山 と刻まれています
閼伽井
行基がこの水で病人を直したと伝えられている
昆陽寺山門
手前の橋の下には昆陽井が流れています。武庫川から水を引き、伊丹の南部をうるおす大切な用水です。
東寺の青面金剛(寺本村)
寺本村は東寺(ひがしてら)、中寺、西寺に分かれていました。
これは庚申信仰の碑です
西天神社
昆陽村西の庚申
蛤御門の変で敗走した長州勢がここで踏みとどまって戦ったと言われます。
西国街道を横切って流れる川に橋が架かっていましたがこの川は現在は暗渠となり、橋はありません。
稲野村道路元標(げんぴょう)
西国街道と有馬街道が交わる札場の辻の道標
この道標は札場の辻に立っていましたが現在の稲野小学校の校門横に置かれています。元の場所に移すことも検討中です。
首切り地蔵
大名行列を横切ったために切り殺された子供の霊を祀ったと言われています。
大鹿会館のある辻に立っています。
有馬街道は二本あり、ここも西国街道と有馬街道が交わっています。
和泉式部の墓
五輪塔ですが基礎と笠部が失われています。
辻の碑
東西の西国街道と南北の多田道が交差する辻にあることから辻の碑と呼ばれています。 京都東寺から10里と刻まれています
「芭蕉翁あゆみの地」の碑
松尾芭蕉は「笈の小文」(おいのこぶみ)を書く折り(1688年)ここ伊丹を通りました。これを記念して1972年建てられました。
今年は空梅雨、今日もどんよりとしていますが雨もなし。
友人三人でサイクリングを楽しみました