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古道を歩く
西国街道(その三)
箕面(桜井駅)~ 茨木(阪急茨木駅より近鉄バス)
伊丹駅 ~ 牧落駅 この区間は長距離です。
二回に分けて歩きます
ITにおける百科事典ウィキペディアには「西国街道とは」ーー 「江戸時代には、いわゆる「街道」が整備されることになった。この街道においては、藩領内であっても江戸幕府の道中奉行が支配するなど、再び中央と地方の連絡が国家的に整備されたとも言える。
街道には宿場が指定され、人馬の継立を行う問屋場や、諸大名の宿舎としての本陣、脇本陣、そして武士や一般庶民などの宿舎であった旅籠などが整備された。
そして
江戸時代の道路としての山陽道は、京都の羅城門(東寺口)から下関の赤間関(あかまがせき)に 至る道として再整備されたものである。 」
また
狭い意味での「西国街道とは」 「西国街道のうち、特に六宿駅、山崎宿(大山崎町・島本町)・芥川宿(高槻市)・郡山宿(茨木市)・瀬川宿(箕面市)・昆陽宿(伊丹市)・西宮宿(西宮市)が設けられていた京都から西宮の区間を指し山崎街道(やまさきかいどう)、山崎路(やまさきじ)、山崎通(やまさきのみち)といった。
大坂を経由せずに西国へ抜ける脇街道として西国大名の参勤交代に利用され繁栄した。」と説明されています。
石畳みの道か?
街道が江戸時代にはどの様であったかの知識は持ち合わせていませんのでわかりません。砂利道なのか、石畳みの道なのか、土道だったのかです。
現在、西国街道の保存、整備とか道標は各自治体によってさまざまな工夫が見られます
向日市
向日市
島本町
茨木市
箕面市
箕面市
池田市
西宮市
新しい道標の造りもいろいろ
尼崎市
箕面市
西国街道にあった六つの本陣は、郡山宿本陣 (茨木市)のみが現存しています
街道に面して堂々たる郡山宿本陣
御成門横に椿の巨樹、毎年五色の花を咲かせたことから「椿の本陣」と呼ばれています
★ 見学は無料ですが事前予約が必要です。Tel 072-643-4622 年二回の特別公開があり事前予約は不要です。
萱野三平旧邸
萱野三平旧邸 長屋門
辞世の句碑
晴れ行くや 日ごろ心の 花曇り
1675年(延宝3年)- 1702年2月10日(元禄15年1月14日) 若干27歳で死ぬ。
赤穂藩浅野氏の家臣で、浅野長矩が江戸城松の廊下で吉良義央に刃傷事件を起こしたことを、早駕籠で第一報を知らせた。
通称三平(さんぺい)
討ち入り前に忠孝のはざまで自刃した赤穂義士48番目、また俳人としても有名で俳号は涓泉(けんせん)
寒いです。
阪急電車の牧落駅で今日一緒に歩く桜井にお住いの友人と09:30に待ち合わせ
箕面市瀬川本陣は残っていません。
付近は自動車練習場になっていました
箕面市の弁慶の鏡水伝承地
わずかに窪み程度で面影がありません
阪急電車石橋駅の踏切は能勢街道と西国街道が交差しています。
道標には右 西宮(西国街道)、左 大坂(能勢街道)の文字が見えます
駒の森十二神社に防空壕跡が残っています
こちらの弁慶の泉はなるほどと思える泉です
西国街道その二 ヘもどる
西国街道その四 ヘつづく