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山岳会の元会長の
死に際して


事故の報は、信州の登山から帰り、パソコンのメールを開いた時、目に入った。
えっ、これ何?
間違いメール?
だが、信じられないことが起きていたのです。

事故は、わずかな失敗といくつもの偶然が重なって起きるものと知っているが、まさか「神様」と自称されるほど経験豊富なNさんのことだから、よほどの悪条件が重なったに違いないと思います。

私がNさんに初めてお会いしたのは神戸コンテナターミナルであった。当時彼はS社でコンピューターのSEを、私は同業M社でコンテナオペレートの業務担当をしていました。彼はIBM社のコンピュータープログラムを作成管理されていた優秀なSEでした。そのプログラムを利用していた私は、彼のオフィスへ毎朝伺いデータ交換が終わった後、いつもお茶をご馳走になりながら山の話をしていました。

それ以来、彼に魅かれ彼が会長をされています山岳会に入会し山行を重ねました。私に登攀の技術を指導下さったのもNさんです。
穂高屏風岩、錫杖岩や御在所藤内壁などを攀じったのも一緒でした。また私の目指している「ふるさとの富士」にも、いくつもお付き合い下さいました。

まだまだNさんと一緒に登りたい山がいっぱいいっぱいあります。今でも、「明日どこそこの山に登るよ」と呼びかけてきそうな気がします。でも、それはかなわない。

私も還暦を過ぎ、人生は限りあるものであることは実感しております。Nさんはその有限な人生において、なんと多くの仲間に影響をお与えになったことでしょう。その大切なNさんがいなくなってしまった。
私はいまだに信じられないが彼から教わった技術を後輩達に伝えてゆきたいと思っています。

ご冥福をお祈り申し上げます。


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