満願寺 ~ 石切山
新西国三十三ヶ所 第十三番霊場
摂津国八十八ヶ所 第六十八番霊場
摂津国三十三ヶ所 第十八番霊場
満願寺のHP
満願寺の参拝と裏山(石切山)を訪ねて
毘沙門堂前の桜が咲き始めていました。
満願寺の森は自然保護地域になっています
四国88か所巡拝の入口
第44番大宝寺
11面観世音菩薩
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
満願寺には
坂田金時のお墓
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
金太郎にはいくつも伝説が存在する。幼児向けの絵本などで流布しているものに近い、静岡県駿東郡小山町の金時神社の伝説は以下のとおりである。
金太郎は天暦10年(956年)5月に誕生した。彫物師十兵衛の娘、八重桐(やえぎり)が京にのぼった時、宮中に仕えていた坂田蔵人(くらんど)と結ばれ懐妊した子供であった。八重桐は故郷に帰り金太郎を産んだが、坂田が亡くなってしまったため、京へ帰らず故郷で育てることにした。
成長した金太郎は足柄山で熊と相撲をとり、母に孝行する元気で優しい子供に育った。
天延4年3月21日(976年4月28日)、足柄峠にさしかかった源頼光と出会い、その力量を認められて家来となった。名前も坂田金時(きんとき)と改名し、京にのぼって頼光四天王の一人となった(四天王には他に渡辺綱、卜部季武、碓井貞光がいる)。
当時は丹波の国の大江山(現在も京都府福知山市)に住む酒呑童子が都に訪れては悪いことをしていた。 永祚2年3月26日(990年4月28日)源頼光と四天王たちは山伏に身をかえて大江山に行き、 神変奇特酒(眠り薬入り酒)を使って酒呑童子を退治した。
坂田金時は寛弘8年12月15日(1012年1月11日)、九州の賊を征伐するため筑紫(つくし・現在福岡県)へ向かう途中、作州路美作(みまさか)勝田壮(現在の岡山県勝央町)で重い熱病にかかり享年55で死去した。
勝田の人々は金時を慕い、倶利加羅(くりがら、剛勇の意)神社を建てて葬った。その神社は現在、栗柄神社と称する。
金時の兜石
満願寺(標高150m)より
石切山(標高283m)へは標高差140mくらいの登りです。ゆっくり歩いても30分くらいで山頂に着きます。三角点のある山頂少し手前に南の切り開きがあり、伊丹空港から泉南方面が展望できます。
石切山の登山記録はこちらもご覧ください
一風変わった山門
本堂
満願寺より10分くらいで公園
石切山へはこの公園より登山道があります
石切山への途中、展望岩の上から見る
猪名川~川西方面