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お馬富士(仙丈ヶ岳)

 おうまふじ(せんじょうがたけ)
  標高 3,033 m


2003.7.25(金)
曇りのち晴れ

名神尼崎IC(06:11)~大山崎バス停(06:39)~多賀SA(07:30/08:00)~中央道内津峠PA(09:30/45)~座光寺(10:55/11:05)~伊那IC(11:30)~高遠で昼食(11:55/12:25)~戸台仙流荘(12:45)~長谷町営バス(臨時便13:40発)~北沢峠(14:30着)

Bさんの愛車トヨタカムリで出発。
3人が運転できるのでほぼ100km毎に交代する。

「高遠そば」

 高遠桜で有名な城下町の「華麗運」(ケルン)というそば屋で「高遠そば」を食す。
そば切り発祥の地、高遠藩で殿様に献上するためにお寺の住職と村人達が創案した食べ方が「高遠そば」。

 このそばの特徴は、麺つゆの中に辛味大根のおろしと、焼き味噌を混ぜた辛つゆに麺をつけて食べる。
いわゆる「辛汁そば」といわれるもので、麺は十割そばを使いつなぎは一切使わない。

 夏山最盛期には臨時バスが次から次へと運行され、定員になればすぐ発車だ。広い無料駐車場に車を置き、長谷町営バス(町合併で南アルプス市営)に乗車する。

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戸台、長谷町営バス乗り場

 北沢峠は仙丈ケ岳と甲斐駒への登山口なのでこの時期は登山者であふれる。
今年は甲府から広河原への道が崩れて通行止めになっており、関東からの登山者が少なくて閑散としている。

 人ごみを避け大平山荘(本来は峠より15分歩いて戻らねばならないが、バスの運転手にお願いして山荘前で降ろしてもらった)に宿を取ったのだが、泊り客は15人ほど。

 山荘に着くころ雨が降り出した。

山荘に着いた中年の夫婦

 4時を過ぎたころビニールカッパだけでよれよれになって山荘に着いた中年の夫婦。上から下までずぶ濡れ、婦人は足を引きずっている。
 聞けば雨の中「仙丈ケ岳」から下降とのこと。
山荘の主人はそれこそご親切にも、濡れたものをストーブで乾燥させ、蒼白な顔色のご婦人に下着までお貸ししておられた。

 懐石風の夕食をいただき、しばし山荘の主人達と懇談。
7時消灯。


2003.7.26(土)
晴れ

 3時50分起床

 冷たい雪解け水で顔と手を洗う。
昨夜は土砂降りの雨だったのに、山荘から見る早朝の景色は乳白色の霧と一面に真っ白な雲海が広がり、空には星が一つ光る。
山荘の奥さんはにっこりとしながら「今日は期待できそうです」と忙しいお仕事のあいまに話される。

この言葉を信じて登った仙丈ケ岳はそれこそ100点満点の展望を私達に与えてくれた。

 

コースは藪沢の残雪が多く危険で通行を禁止されているので山荘(04:40)より北沢峠(05:00)から小仙丈尾根を直登し大滝頭(06:40)、小仙丈岳(08:10)をへて山頂(09:30/10:00)、下山は仙丈小屋(10:30/11:00)から馬の背ヒュッテ(11:35)を経て藪沢小屋を通り小仙丈尾根を北沢峠(14:20)へ下山。

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黒百合

 弁当の朝食をとった大滝頭に着くころからガスは晴れ上がり馬の背ヒュッテまで展望は思いのままであった。

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日本の最高峰富士山と第二の高峰北岳

 北沢峠をはさんで対峙する甲斐駒ケ岳についで前方左に北岳の鋭鋒が姿を現わし、北岳の左には富士山が大きく見える。

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「ふるさとの富士」をめぐる私にとって富士を見ることが大きな希望でもあった。また甲斐駒ケ岳の奥には八ヶ岳が雲海に浮かぶ。

 仙丈岳の山頂からは北ア穂高、槍、立山連山、中央アルプスとその奥に特徴のある木曾の御嶽山、その右奥は加賀の白山か。

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北ア穂高、槍、立山連山

 仙丈の高峰の花もたくさん見ることが出来て大満足の山となった。

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2003.7.27(日)
曇り 甲斐駒ヶ岳に登り、

 「今年は夜中によく降ります」と主人の言われたように昨夜も雨が山荘の屋根をたたいた。

記録はこちらをご覧下さい


2003.7.28(月)
晴れ
町営大芝荘の一夜

 伊那箕輪町の町営大芝荘の一夜は快適そのものであった。
標高800mくらいの高原にある温泉つきのリゾートホテルで檜や松の林立する静かな保養施設である。
周辺にはゴルフクラブ、野球場、テニスコート、オートキャンプ場にマレットゴルフやアスレチックコースなどなど盛りたくさんだ。
涼しく避暑地にもいいですよ。

 帰途も運転を交代しながら大阪へ安全運転で走行し、事故無く帰着した。


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