大津富士(袴腰山)
また 撫養富士 とも
おおつふじ(はかまごしやま)
標高 264.8 m
四等三角点 点名 袴腰
2万5千分1地形図名:撫養(南東)
「大津富士」とも「撫養富士」とも呼ばれる。
正式の山名は「袴腰山」(はかまごしやま)といい、標高は264.8m、鳴門市大津町にある。大津西小学校校歌には「北にそびえる大津富士」とうたわれている。
「大津富士」との愛称の由来は地名(大津町)から来ていますね。
「撫養富士」とは鳴門市、古くは撫養と呼ばれていたところからでしょう。
小雨に霞む、大津富士
地元小学校の生徒達は、山頂よりの鳴門市街、瀬戸内海の大展望に感激したり、全員が校歌を歌い、登頂記念に名前を書いた標柱を山頂に立てることもある。
アクセス
行程 : ①登山口(11:50)~~大代跨道橋(11:55)~~(12:05)③聖天(12:10)~~(12:55)④山頂(13:5)~~堰堤(13:30)~~⑥貯水池~~①登山口(13:45)
10時頃から降りだした雨が止むことなく続いている。
高松道(高速道路建設)当初の計画では山を切り開いて道路を通す予定だったが、徳島県内最大規模の前方後円墳である大代古墳が発見され、大代古墳トンネル(延長77m)に変更して古墳が保存された。
今もまだ整備中で、立ち入りは禁止されている。
地図①より大代古墳に登ります。
古墳上部
大代古墳の下を高松道が貫通
登山道は、麓の大代古墳地図②の東から山上に祀られている愛宕神社参道を登る道と古墳の西側から聖天を経て行く道がある。
聖天さんにお参りしてから山頂の愛宕さんに参ろうと進む。 高松自動車道架かる大代跨道橋を渡り小山を過ぎれば聖天さんのお社に着くはずだ。
聖天への入り口に立つ鳥居
袴腰山への道標も聖天さんの看板も無く、また家が建て込んできており里道より聖天さん入り口の鳥居も見えず、行きつ戻りつ、ついには傘をさして歩いてこられたお爺さんに尋ねることになってしまった。その方は良くご存知でラッキー。また「袴腰山へは下草が繁っているよ」とも助言いただく。
聖天さんの鳥居とお社
聖天さんの脇にヤマモモの木と道標が立つ
徳島県の県木が「やまもも」とされているように、徳島の山には「やまもも」の木が多い。この木はたいそうな大木で実を沢山つける事だろう(雄木には実がつかないのではたして、雌か雄か?)。
このあたりから足元はコシダが道を覆い、潅木が道まで張り出して傘を差すにもままならぬ。
山頂
山頂までのルートは、地形図を見てもどのような地形なのかがすぐに判りにくい複雑な山域だ。小山をいくつもいくつも登ったり下りたりを繰り返し山頂へ至る。
山頂には四等三角点が置かれている。雨が強くなり今日の展望は360度だめ。また来ましょう。
けっこう強い傾斜を雨に濡れた道で転倒しないよう慎重に進む。
巨大な石切場
眼下には石切場⑤があり、操業中のガラガラと騒がしい音が聞こえる。機体は見えないが徳島空港を発着のジェット音も響く。
日開谷堰堤⑥の横を通り出発点へもどる。傘を差したりすぼめたり、上から下までびしょ濡れになってしまった
もうすぐ彼岸、日開谷には紫のスミレがいっぱい咲いていた。
一雨ごとに木々の芽も芽生えてくるでしょう。
「山路来て なにやらゆかし スミレ草」
芭蕉の句が浮かんできた。
日開谷に咲くスミレ
「大津富士 しずかに香る スミレ草」
雷神を祀り防火の守護神、京都市右京区嵯峨愛宕町が総本社、愛宕神社のお札が京都のお家の台所には必ずと言ってよいほど貼られているそうです。
象の頭をした形で、二体が抱き合っているのが一般的で秘仏が多い。
事業成就や事業繁栄、商売繁盛の御仏として有名。