阿波富士(城王山)
標高 632.4 m
犬墓の里より残雪の阿波富士を遠望
8月・・・台風10号の大雨とその後の雨で城王山神社への道は倒木、枯れ木、土砂崩れで通行困難の為、またもや登山を断念して帰る。
9月・・・3度目のチャレンジで登頂する。
標高は632.4mあり、登山口の標高も120mくらいある。
今回は最近山歩きを始めた学生時代の同級生のご夫婦と登山口より山頂まで歩くこととなった。
この日は9月も中旬というのに気温が毎日32~33℃が続いている暑い晴天の日であった。
市場町役場から県道2号(川島~津田)線を北へ向かい、徳島自動車道を越えるあたりまで来ると前方に目指す城王山の全容が姿を現わす。
右に580mの峰を従えた堂々たる雄姿である。
仁賀木・川又方面との道路標識に従い細い道をくねくね600mほど進むと左手に廃屋とお社があり城王神社参道入口の矢印が書かれた標識が立っている。
二台ほど置けるお社の前庭に車を置くつもりだったが、ほとんど真ん中に赤いNISSANの車が停めてある。樹木ギリギリに停めれば、赤い車はなんとか道へ出れそうなのでその車の右前方に停めさせてもらう。
道に栗が落ちているが、栽培の栗はたとえ道に落ちていても拾ってはダメなので見過ごしてゆく。
カシやナラなどのドングリも落ちるシーズンで、道に落ちている実を拾っては「これは何の実かな」と考えるが知識のなさで判らない。
参道沿いに等間隔に植樹されたサクラ樹は10年近くは経っている太さに成長しているものの隣に植林された檜の樹勢に負けて、殆どのサクラ樹が今にも枯れそうで痛々しい。
サクラのすぐ横の樹木だけでも間伐できないものだろうかと頭に浮かぶ。
「間伐で確かな山づくりをしよう」の看板のようにサクラ樹も助けられないものだろうか
始めて見る珍しい蝶、蛾? 日開谷集落
モンシロチョウより少し小さく細長い蝶で、羽根が黒地に白線が一本入っている。
頭部は赤、触覚が羽根のようで面白い。この蝶が中腹から上部にたくさん飛んでいた。
30分も簡易舗装の参道を歩けば東眼下、たわわに実った稲田の脇に日開谷集落が美しい。
見ながら「あついねえ休もうか」となる。
先の台風でひどく荒れていた道はきれいに整えられており、道の両側の下草なども刈り払われていて安心して歩くことができありがたいことである。
歩いている途中、何台かの車が私達を追い抜いてゆく。
毎年9月15日行われていた城王山での大護摩修法祈願が休日法が変更になって以来から第二日曜日になったそうで、今日がその日ということを山頂手前の広場へ着いて事情をお聞きして初めて知る。
大護摩修法祈願の掲示 広場は車が一杯
役小角の像 千本杉
涼しい風、温度は28℃。 杉、アサダ、コナラなどの大木が社殿のまわりに林立し、残念ながら展望はない。(千年杉は各地でよく見かけるが、千本杉というのは初めての対面)。
ミンミンゼミもかよわい声で鳴き、蚊はほとんどいないが大きなありんこがまとわりつく。
スーパーで求めた巻き寿司とおにぎりのお弁当で昼休みにする。
コナラの大木 新田池(龍王池)
新田池は社殿の裏を少し下った所にあり、また城王山の最高点は池を過ぎ北へ行った所にある。
ここには山名を記した道標があるのみで展望は乏しく長居できるところではないが故郷の阿波富士に三度目にしてやっと登れたことによろこびでいっぱいである。
この山は私にとって故郷のふるさとの富士である。
北へ30mくらい下の標高598mに三角点があるが道には雑草が多いので止めにする。
道脇の刈り払われたシダが子孫を残そうと新芽を出している。
これがワラビで、春でなくてもおいしくいただける。
「9月なか わらび摘みつつ 城王山」
山登りの帰りは温泉が一番の楽しみである。
隣町の土成町には御所の郷があり、温泉と食事に食ギャラリー売店などが楽しめる。
寝湯、打たせ湯、露天風呂、サウナなど揃っている。
行程:
登山口(11:00)~広場(12:40/50)~城王神社(13:05/45)~龍王池~最高点(13:55/14:05)~広場(14:20/50)~登山口(16:00)
① 土柱ランド新温泉
ラドン温泉
② 土柱休養村温泉
吉野川を見わたせる高台にあり、露天風呂からの眺めは心も体もリフレッシュ
③ 金清温泉
泉質 単純ナトリウム泉
市場町資料より抜粋
標高六三〇メートルの山である。阿讃山地より市場町に枝分かれした尾根にあり、大字日開谷に属する山である。
この山は日開谷川とその支流の西仁賀木谷川に挟まれ、南からの眺めは富士山のように美しく阿波富士ともいい、また、地元の人たちがお城さんと呼び親しんだ城王神社がある。
この神社は、天照大神、新田義宗(義貞の子)、脇屋義治を祭神とする。頂上近くには石像や新田池と称する小池がある。城王神社は新田池の伝説から武道の守護神であるとともに、精神病治癒の神としても崇拝者をもつ。信者の中には、神からのお告げを実行したらたちまち商売が繁盛し、大儲けした人がいるという。
徳島市・名西郡など遠方に熱心な信者が多数いる。地元の氏子は、日開谷川の東側地域の人たちである。北は日開谷の川原芝地区から、南は日開谷川の稲荷地区にかけての範囲で、約一四〇戸の住民の人たちである。
毎年四月、七月、十月と例祭が行われる。
祭が近づくと地元の人たちが総出で城王神社や、神社へ通じる道を美しく掃除し祭日を迎える。
九月のお祭りは、十五日の夕方から大勢の信者が集まり通夜で大護摩法要を営み、交通安全や諸事厄難消除の祈願をする。また、以前には旧暦七月十二日の夜に雨乞踊りが社殿で奉納されていた。この踊りは、旱魃の有無に関係なく毎年決めて実施していたが、じょうれい踊りともいわれている。精霊踊が訛ったものであろう。
戦後この踊りを大俣婦人会が復活した。なお昔雨乞い行事として、早魅のときには、地元の若者が威勢よく新田池の水をくみ出し池を空にした。そうするとたちまち慈雨が降ってきて、田畑を潤したといわれる。新田池は、山頂にありながら、どんな日照りの時でも滴れたことがなく、不思議な池といわれている以前は、城王山への登り口は四方にあった。
東からは急斜面を奥日開谷から登り、北は日開谷の川原芝から尾根伝いに南下する道、西側は県道を通る白水から急な坂道を登る道、南は川北地域から登る道等があった。現在は東や北からの道は利用されていない。
西側からは県道から立派に舗装された道路を車で約五分登ると、県道から一〇〇メートル高い岩野地域に着く。ここからは徒歩でジグザグの道を約一時間かけて登ると頂上に着く。
岩野地域は貴人の墓や宝庫があり、新田一族が住んでいたといわれている。現在十数戸の民家がある。南側からは道が整備され容易に頂上まで登れる。川北地区の入口から頂上近くの鳥居のある広場まで約四キロメートルあり、車で登ると約一〇分である。途中からの周辺の眺めはよく、東の下の方に仁賀木谷川があり、奥日開谷の民家が点在して見える。そして中腹からは南や西前方がよく見えるようになる。
道端には、サクラ・ヒノキの木が植えられ整備されている。頂上近くの鳥居のある広場からは、眼下が一望できすばらしい眺めである。南前方を見ると、四国山地や吉野川が東西に延びている。その川に眼下から日開谷川が蛇行して繋がっている。 日開谷川の両岸に河岸段丘が発達し、下流域は扇状地が開けている。そこに犬墓・野田原・上喜来の地域が散在している。日開谷川に沿って旧県道があり、扇状地の中央にはバイパス道路がよく見える。
上喜来を横断する四国縦貫自動車道の架橋が一段と目立って見える。田畑はよく整備され有効に利用されており、美しい模様をなして並んでいる。西南の山麓には、戦後の集団開拓地のヤカイ地域が見える。開拓者の労苦が偲ばれる。対岸の西の山裾に採石場があり、山地が切り取られ地肌が目につく。
九合日の鳥居のある広場から頂上の城王神社までは急な坂道があり、普通自動車で登るのは無理である。広場から城王神社までは徒歩で約一〇分である。この道の両側は大木のスギ・ヒノキ・コナラ・カシ類が生え遠方の景色を見ることはできない。神社のある頂上付近も樹木が繁茂し見晴らしはよくない。
しかし、晴天のときは木々の隙間から遠く瀬戸内海を見ることができる。
川北地区の入口から車を利用すれば、約二〇分で頂上に着き、徒歩で登ってもゆっくり日帰りができ、ハイキングやドライブにも絶好の山である。