朝倉富士(外鎌山)
標高 290 m
富士と名の付く山々を訪ねるため、本を調べたり各地の役場商工産業観光課に尋ねたりしてきました。
この朝倉富士についても桜井市の観光協会に照会しましたが、ハイキングや観光の山としては売り出していないのか程よいご返事はいただけなかった。
「北側から道はあったようだが、朝倉台団地が出来てもう山へ登る道は消えてありませんよ」
桜井は「山辺の道」が有名で山としては「三輪山」「竜王山」などはよく登られている。
私もそちらの方面は何度か行っており、車でも何度も通った事がありどの山が「外鎌山」かの見当はついていた。
協会の方は道を知らなかったが、以前は道があったような口振りなのでそれを信じて落葉後で下草も枯れた12月中旬に登りに行った。
近鉄大阪線の鶴橋駅07:42発の急行に乗ると桜井駅には08:19に着く。次発の普通電車を10分待ち一駅先の大和朝倉駅に08:30に着いた。(670円)
近鉄大和朝倉駅のすぐ南東に位置する山で標高290mの高さである。北西の方角から眺めると富士型をした山容をしている。周りには大和朝廷時代からの陵墓などが多数ある。
談山神社のある多武峰の北にあり歴史的に重要な位置にあったと思われる。
(08:30) 駅を出ると朝倉台への坂道があるので坂を登ると大きな公園になっている。
ここで一枚写真を撮る。(写真参照)
団地の家々の向こうにこじんまりした富士が見え、北西側に小山を従えた谷筋があるのでそこから登ろうと進む。
団地を突き抜けると山裾に階段があったので登ってみると沢に沿って小道が奥に向って付いていたので歩き出す。
5分も歩くと道脇に小さな石像の不動明王像があり、きれいな小花が供えられていた。私もお供えをして手を合わせた。
汗が出てきたので上着を脱ぎシャツ一枚になる。
道がなくとも登山を止めるわけには行かないので、とにかく沢に沿って登りその沢を詰め、そこからは木を掻き分け進む。15分ほど登ると石積み跡(昔、建物でもあったのだろうか)が見られ、この辺から植林はなくなり自然の雑木の林となっている。
冬枯れの殺風景な中に紫式部の紫色の実がそこここにあり、目を楽しませてくれる。
250mくらいの高さまで上ると左後ろに三輪山が見え出してくる。
左の尾根に道が有りそうだと思ったがそのまま直進して、だんだんと急になってくる坂を山頂まで行く。
(09:35) 山頂に着く、また一つふるさとの富士山に登れたと喜ぶ。
冬の朝、風の弱い日には桜井の盆地には霧が立ちこめる。この日も山頂からの桜井の眺めは素晴らしい乳白色の霧の海の中にあった。
落ち葉で枝ばかりになった低木が南の山を隠すが展望は良い。
北に「三輪山」「竜王山」西に生駒連山が連なり「二上山」から「金剛山」が霧にかすんで見え、飛鳥の里や大和三山は霧海の中に浮かぶ。南に「多武峰」「音羽山」東に大和高原の山々が遠望できる。
山頂には桜の木が10本ほど植えられ、竜王の石碑と南朝忠臣の西阿公の墓が置かれていた。
三輪西阿が指揮したという外鎌城があった城山であるがその面影はみあたらなかった。
山頂の三角点は三等三角点
登り口が判らずむちゃくちゃに登ったが、山道は北東の尾根に付いていた。 登るときに尾根に道がありそうだと思った通りやはり尾根に道はついている。 下りはこの尾根につけられたジグザグの道を利用することにした。道は急な坂道ですが結構歩かれていると見えて自然のままの道で、歩き易かった。
この道はどこに出るのだろうと思いながら歩く。落ち葉をかさこそと踏みながら歩くと、その道の終わりは桜井市の外鎌山配水池のタンク横に張り巡らされた金網フェンスの奥だった。
また山頂から西に位置する忍坂街道(国道166号線)方面への踏み跡もありそうであったがこの道は又の機会にしたい。
谷を詰めてそれから尾根にでるのか、最初から尾根に取りつくのかは難しい判断だと思う。
関西のふるさとの富士を訪ねて20年の歳月が経った。時の過ぎるのは早く関西の富士もまだまだ沢山あり全て尋ねる事が出来るのだろうか?
外鎌山は別名ー忍坂山ーとも言われています。
大和朝倉駅の方角からが忍坂からより富士らしく美しい山容ですが、南西麓の忍坂には歴史が濃く忍坂山といわれる所以です。
忍坂より富士を展望
山頂に三等三角点 があります
(点名 TR35135671001
高間山)
この日は近鉄桜井駅より等彌神社、鳥見山を経て忍坂まで歩き史跡を観光後、朝倉富士に登りました。
鳥見山から東へ下れば現在の国道166号線に出ます。ここが忍坂で、忍坂街道と呼ばれていました。忍坂街道は神武天皇の東征ゆかりの道です。日向から瀬戸内海を東へ進み、難波から吉野の山中を通って宇陀から忍坂を経て大和に入ったといわれています。
まちづくりマップより参照
生根神社の子持ち狛犬
ちご石
舒明天皇陵
鏡女王墓
大伴皇女墓
忍坂街道より東へ入れば陵墓が並び時代を感じます。
ここから山へ向かえば30分ほどで山頂です。こちらからの道が低山ですがなかなか手ごわい。坂はとても傾斜が急で、すべりやすい。
高間山 三等三角点
哀れ西阿公の墓、今にも倒れそう
明日香、大和三山の展望
登られる方が増えたのだろうか、道はいくつか開かれていた。今回のコースの他に西へ下り生根神社への道もありますし、一旦西へ向かって下り、大和朝倉駅への踏み跡道もあります。
今まで訪ねたマイナーな「ふるさとの富士」は登山道などなくても、がむしゃらに登りましたが持ち主のあることですから、はやりの赤や白色のビニールテープを木に巻いたり、トラロープを設置するなどは慎みたいものです。
道迷いを避けるために木に印として巻いたら、下山時に必ず外しましょう。他の人の為との口実でテープなどは貼らないことが好いのです。あなたが他人に道を強要させないことです。どの道を行くかは他人が自分で決めるものでしょう。
朝倉台の第二公園より朝倉富士
公園にて下山後のひととき