小 倉 富 士
標高 498.5m
小倉富士は京都府夜久野町と兵庫県山東町の境界となる山である。京都府の西北端に位置する夜久野町は30-40万年前、田倉山(宝山)の噴火により造られた溶岩台地―焼野(夜久野)高原地帯(標高150-200m)や山林が8割を占めている。
ここからはサメの歯などの化石が発見されており、太古には海底であり隆起したものと考えられる。縄文草創期(1万2千年前)の石器や数多くの古墳などが発掘され、古くから開かれていた土地であると想像できる。
夜久野は東経135度子午線上が通っている。この線上近辺には、南から「丹波富士(雌岡山)」「小野富士(惣山)」「丹波富士(大箕山)」「妙見富士(妙見山)」「小倉富士」「熊野富士(高竜寺ヶ岳)」が並んでいる。
私が「小倉富士」を訪ねたのは紫色の山藤の美しい頃であった。
今回も苦しい山行(山道は無い)が予想されるが未知の山に、ただ一人で登れることは私の喜びとするところでもある。
地元の小学校校歌にも歌われたことのある「小倉富士」は国道9号線中夜久野から美しく眺められるし上夜久野駅の少し北、水上からも良い姿だ。夜久野峠「農匠の郷」からは山に一番近い好展望の地だ。小倉の地名から名付けられたこの「小倉富士」は標高498.5mの山で「ケツ山」との悪名がたまに用いられるように山頂部は2個の頂になっている。
田倉山火山から流出した溶岩が固まり六角の玄武岩柱状節理となり露出している場所(JR上夜久野駅より南へ1km)は玄武岩公園となっており(駐車場、トイレ、水道あり)ここが「小倉富士」へアプローチの入口となる。(ここは標高約150m)
谷川を250m地点まで遡行し、山頂から北東へ張り出した尾根に出て山頂へ登り、下山は402.5mピークと348.5mピーク(本に依るとこのピークを小倉富士と紹介しているが)を経て谷川へ戻ろうと考え、地形図、磁石、高度計をたよりに登る計画である。
(10:00)公園横を流れる谷川の左岸を進む。荒地と化した棚田のカヤが生い茂った中を500mくらい進み、右岸へ渡り、沢から離れすぎないように雑木林の中を歩く。
歩くといっても楽ではない「けもの道」だ。昔は山仕事、芝刈りに歩かれたであろう道はもはや自然に帰り消えてしまっている。
前方をふさぐ木立をじっとうかがうも通れる隙間が無い。
沢の向側が歩くのに良さそうににも見える。渡ってみても同じように下笹が一杯でダメだ。
また右岸へ戻る。
枯枝をかき分け前へ前へと歩く。目にはサングラス、手には軍手をつけるも、手首あたりからキズで血が見える。
(11:00)230m付近で谷川に石積みの堰が現われ、水は堰の上部で洞穴に流れ込む。
右から踏み跡が合流する。
右からの道は堰を渡り上部に通じていたに違いないと考え、行きつ戻りつ道を探すも見つからない。仕方なくここからは木のまばらな右の少し窪んだ部分を直登し、尾根に出ようと山中へ踏み込む。
この山も上部へ行くほど傾斜が強くなる。小木が沢山あるので崖や谷に落ちない限り、滑落しても大丈夫との安心感がある。
落ち葉に足を取られながら道無き山を攀じ登る。
(11:50)全く展望の無かった沢筋(もう登山口から2時間も経っている)だったが尾根へ飛び出すとパッと視界が開けた。開けた視界は青空と夜久野北部の雄大な緑一杯の山々と点在する里の風景だった。
ところが、このすばらしい展望は全行程中この一ケ所のみであった。
尾根の坂は急であったが比較的に歩き易く、もう一心に登る。頂上近くには鹿除け網が張られていたが網も針金も経年腐蝕でボロボロになっている。
「小倉富士」は麓から山頂までびっしりと新緑の中にあった。
(12:20)2つあるピークの北峰に着く。高い雑木に覆われている丸い平らな山頂で展望はゼロ。
「小倉富士」の記念写真を撮り、南峰(山の最高峰)へ移ると水溜りがある。気の早いセミの一鳴き、ウグイスのさえずり、穏やかな静けさの山頂をしばらくの休息で下山することとする。
やや明瞭な尾根を下るが少し北側を降りてしまい目標の二つのピークははずしてしまった。
いまはやりの町興しセンターとでも云う所だ。
ここ夜久野にもすばらしい露天風呂付きの高原温泉(ほっこり館)がある。
住民に広く親しまれている美しい山姿の「小倉富士」を眺めながら湯に浸る。