天見富士(旗尾岳)
旗尾岳 標高 548m
列車は南海高野線
屯鶴峰を起点にダイヤモンドトレール(金剛葛城自然歩道)は槇尾山までの大阪、奈良及び和歌山県境を走る延長45kmの長距離自然歩道である。南北に連なる尾根も金剛山を南へ下り、久留野峠を過ぎると直角に曲がり東西の山脈となる。
この東西の山脈と十字に直交するように国道371号線と南海電車高野線が南北に貫く。この峠が紀見峠であるが現在は長いトンネルで自動車も峠越えせずに楽に通過できるし、南海電車は三駅(千早口駅から天見駅、紀見峠駅まで)トンネルで貫通している。
さて前置きが長くなりましたが、千早口駅と天見駅のほぼ中間あたりの東にある美しくピラミダルな山容をした山が旗尾岳である。
旗尾岳は「天見富士」と呼ばれ標高548mである。
独立峰と違い、金剛山系の主稜線から張りだした前衛峰なので先端の方角、つまり北西側から(駅で言えば天見駅でなく千早口駅からの方角)眺めると富士らしく見えるのである。
(写真は千早口駅から700mくらい北寄りの下岩瀬から)
南海電車難波駅を8時発の高野山行き急行に乗車する。
千早口駅に8時37分着。
この駅で下車したのは同行の友人と私の二人きりであった。
高野線沿線も駅毎に新興団地が開かれにぎやかになってきているが、千早口や天見駅のまわりでは山が両側よりせり出し団地ができる土地も無く、里人は山間の狭い棚田を耕しひっそりと昔ながらの暮らしを続けているようだ。
ここ河内長野市内には南北朝時代、南朝の拠点があった所で古い寺社や遺跡が多く残っている。
「天見富士」に登る前に駅の近くにある薬師寺を訪ねた。
寺の本堂横には五輪石塔がひっそりと立っている。
市の文化財に指定されており、鎌倉後期(暦応4年・1341年)作で風化も少なく小型(高さ106cm)で美しい五輪塔であった。
(暦応は北朝の年号であり、何故南朝支配地域で北朝の年号なのか疑問が残るが)
ルート 赤線を登り 青線を下り
駅まで引き返し「天見富士」に向けて出発する。(09:45)
トンネルが出来る前の天見川に沿ったくねくね曲がる南海電車旧軌道敷が遊歩道となっているのでその道を進む。
私が新婚時代に妻とこの単線の線路をゆったりと走る南海電車に乗り高野山にお参りしたのは「もう30年近くも前になるのかなあ」と感傷に浸りながら歩を進める。
棚田には稲がナル(刈り取った稲をこれに掛けて天日で一ヶ月くらい乾燥させる)に掛けられてあり、古き懐かしい時代の農村風景が今も残る。
しかしもうすぐこのような風景も見られなくなるだろうと思う。
左岸に砕石場が見え、上空をバツ印に交叉した2本の高圧電線が走っている下を過ぎてしばらく行くと右手に「火の用心」の標識柱の上にマジックインクで「旗尾岳→」と書かれている。
火の用心の標識は関西電力の高圧電線の巡視路を示すもので「天見富士」の登山道と共用している。
尾根をゆく登山道はすぐ急登となる。
道の左側(北側)は杉などの針葉樹の植林が頂上まで続き、右側は自然林の潅木の落葉、常緑樹林帯である。
一昨日の大雨で道は湿り気十分。
あちこち探すまでも無く、きのこきのこのきのこのみち、どんぐりどんぐりどんぐりのみち、くりくりくりのみち。
秋とはいえ今日は暖かく、すぐシャツ一枚になり汗を拭く。山頂までに高圧線鉄塔が3本あるが、その第一鉄塔に着いて一休み。(10:25―10:30)
風邪で病みあがりの友はどうも足が重くて動悸がはげしい。
咳き込み苦しそうなので休み休み行こう。
振り返っても、樹林で展望がさえぎられ何も見えない急な山道を歩き、第二鉄塔にフラフラで着いた。
鉄塔の4本柱の中は木が刈り取られ良い展望の場所であるが、ここには背の高いススキが群生しておりバツ。
休むと寒いので日当たりの道脇にドンと腰を下ろして大休止(11:05―11:35)
山頂はここから約10分の距離。
杉などの高木で覆われ、暗く陰気な頂上である。
個人の持ち山ならどうにもならんのだが、どちらか一方向だけでも低い木にしていただいて日が当たり一休み出来る山頂にしてほしいものである。
山頂から7分くらい東ルートを下ると第四鉄塔が有り、ここは岩湧山、槇尾山などの和歌山との県境の山々が見渡せる絶好の展望地である。
ここで2時間近くお昼休みとする。
下山は第二鉄塔より天見へのルートを取る。
植林の中をまっさかさまに下る急なひどい道であった。
少し離れるが重要伝統的建造物群保存地区として
富田林市富田林伝統的建造物群保存地区 【寺内町・在郷町】がある。