若狭富士(多田ヶ岳)
(標高712m)
若狭に名山「若狭三山」がある。西より、青葉山(若狭富士)、飯盛山そして「多田ヶ岳」が若狭湾に並んでいる。古来より若狭湾に入る船はこの三山を目印にしたそうだ。そして東の「多田ヶ岳」、西の「青葉山」が共に若狭富士と呼ばれる。
西の登山口、妙楽寺から望む「多田ヶ岳」
「多田ヶ岳」(標高712m)は「青葉山」(標高693m)と共に若狭富士と呼ばれていたようで、昔から信仰の山として親しまれているが現在ではこの愛称は多田神社や多田寺のある北麓で伺ってもほとんど用いられることは無いくらい忘れ去られているようである。(出典は持ち合わせていない)
登山道は北の多田からと西の野代から付いている。野代からの道は松茸山を通過するので9月15日から11月30日までの間、通行には地区長の許可がいるとのことなので私達は多田コースを登ることにした。
自宅の尼崎からは名神、国道161号から若狭街道、国道27号で約140km。約3時間、9時30分多田に到着。(地図の番号-①)
①-多田 ②-林道の途中 ③-林道終点の広場 ④-多田、野代の分岐 ⑤-山頂 ⑥-野代 ⑦-国道27号線 ⑧-国道162号線
登山口への多田林道は入口がチェーンで封鎖されている。ゴミの不法投棄をする人がいるため、入れないようにしているとのこと。多田森林組合で鍵を借りれば通行ができる。その鍵を借りる為、内藤さん宅を訪ねるもお留守。家の前に新築のお宅があり表札を見れば「内藤さん」とある。多分息子さんのお家だろうとチャイムを押す。若奥様が在宅で鍵を取って来て貸していただく。
遠敷トンネル
広域農道若狭西街道が一部開通(2003年)
多田寺の前を南に走れば、車が沢山の止まっている工場があり、その手前を右折すると若狭西街道に出るのでそこを左折し上中方面に進むと約1kmくらいで遠敷トンネルがある。そのトンネルの手前の林道が多田林道である。
★ (連絡先)多田森林組合
0770-56-2151(内藤さん)
10時、チェーンをはずして車を進める。道は細いがアスファルト舗装ができている。ところがすぐに道の上には大小の落石が取り除かれず散乱している。しばらくそのまま走ると今度は倒木が道をふさいで通れないので、のこぎりで切り開く。
舗装も無くなり砂利道を行くも大石がゴロゴロころがっているので、それを横へ動かして進む。
不法投棄はいけません
大きな倒木
標高175mくらい、10時15分。
また大木が道に倒れている。車をここに置いて歩くことにする。(地図の番号-②)
山頂が丸い「多田ヶ岳」
熊が出没するので単独山行時には鈴のような音の出るものが必携といわれており、今日は二人連れだが二人とも鈴を持参していた。下山後たずねた妙楽寺でも「山に登ってきましたか、この寺にも鹿がやつてくる、熊に遭わなかったですか」と尋ねられた。運よければ熊に遭えるかも。
登山口に立つ道標
標高315m、林道終点の広場、10時55分。 (地図の番号-③)
10分休憩、なだらかな林道から離れ、ここからは杉林の中を急登が始まる。ジクザグに付けられた山仕事の道だが、この山も色々な本に紹介され道はだいぶ歩かれたと見え、しっかりとしている。また小浜山の会の皆さんが立てられたきれいな道標も多くあり道に迷うこともない。
一条の滝(布ヶ滝)
11時25分。
急登を20分、すこし坂がゆるやかになった所でサラサラと聞こえる水音に惹かれ、ふと右手を見れば樹間に一筋の滝がある。 高さ20m しばし見とれる 一条の滝
多田と野代の分岐
標高540m(地図の番号-④)
ここの稜線までくればあと少しと思ったがここからもまだ180mの急登がまっている。
花の無いこの時季の楽しみは”きのこ”。白いの、赤いの、黄色いのといろいろ。特にかわいかったのは”くちべに茸”だった。
二等三角点
山頂には、二等三角点。
最後の100mもすごく傾斜のきつい登りで、暑くて疲れもあり、前へ足がでなくなってしまうほどだ。
木々の隙間から、頂きが見えた時は”やっとテッペンに着いた”とつぶやいてしまった。
12時25分到着。
左上の三角山が「青葉山」
山頂からは、360度の展望を心ゆくまで楽しむ。西に青葉山、東には敦賀半島にそびえる西方ヶ岳、眼下には入り組んだ若狭湾が広がる。
若狭で一番の高峰「多田ヶ岳」は山容では青葉山に一歩も二歩も譲るが青葉山と共に「若狭富士」と呼ばれるにふさわしい。
山頂は割に広い。北東の端に大岩が二個ある。その横を北へ踏み跡が付いているのでこの道を30mくらい2分ほど下がれば「役の行者」の二体の像と神変大菩薩と書かれた石碑が祭られている。背面には明治15年の字が読み取れる。
「役の行者」二体の像と石碑
山頂でおにぎり弁当、下山は13時25分に出発し登山口広場14時20分、車14時55分に着く。
8月の北アルプス常念岳でも黄色い蝶がまつわりついてきたが、今日も手に止まり触覚で手に浮いた塩分を含む汗をなめており離れようとしない。
下山後、多田寺と妙楽寺を参拝し、多田寺では鐘の撞き方を教わる。鐘を撞く棒は、そのひもを右手を上、左手を下にしてつかみ(腕が「入る」という字の形になる-つまり「お金」が入る)真剣にやさしく撞くことだそうです。その本尊薬師如来は日本三薬師佛の一つであるとの説明をされていた。
妙楽寺の本堂は国の重文に指定された桧皮葺きの建造物でそのすばらしさに見とれる。5間X5間の方形の本堂にやわらかい日差しが当たり美しく浮き上がる。
妙楽寺の本堂/千手観音
出会ったキノコ
クチベニタケ
タマゴタケ
「ツルタケダマシ」有毒
チチタケ
ドクベニタケ
ドクベニタケ
ヒイロタケ
タマシロオニタケ(猛毒)
(註)キノコの判別は URL: http://www.geocities.jp/kinokonokamisama/ の作者に拠る。
作者死去のため閉鎖しました
山行後はいつものお湯めぐり。多田より15分くらいで昨年(2003年)オープンしたばかりの「濱の湯」がある。つるつる美肌になる「アルカリ性単純温泉美人の湯」とパンフにある。 ジャグジー、の他竹炭水風呂、漢方薬草風呂などあり、特に海草風呂という露天風呂が面白い。 湯上りにおばま湾に沈む夕日を眺めながら、御食国おばま(みつけくに)のシコシコ感のあるザルソバをいただき、「ふるさとの富士」めぐりの余韻を残しながら若狭を後にする。
石盟山多田寺は古来霊峰多太ヶ岳と共に「役の行者」(えんのぎょうじや)神変大菩薩の開くところにして山岳修験の根本道場である。
当山開創は天平勝宝元年(西暦749年)今を去る1250有余年前、勝行上人この地で修行.多田が岳に篭り、行、満ちて法カを得、霊異を感得、ここに薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、四大天王、12神将を奉安して済世利民に活躍、庶民の治病、効験大にして、事、天聞に達し人皇46代孝謙天皇の眼病を祈願したところ速悉に快癒され、依って山林1千町歩、田畑1町5反7畝を御寄進下され、石盟山の山号と医王閣の勅額を賜わる。
勝行上人は天皇はじめ地域社会への功績により天平宝字6年6月9日(西暦762年)地方の無名の一修行僧が仏教都奈良の東大寺僧に迎えられ出世している。
「正倉院文書」18項目にわたって勝行の名が署名されている。
多田寺はその後一層世に知られ、奈良の薬師寺、出雲の一畑薬師と共に「日本三大薬師」とうたわれるようになった。
(お寺よりいただいた資料の一部を抜粋)