敦賀富士(野坂岳)
つるがふじ
標高913.5m
敦賀の名庭として名高い柴田家の枯山水庭園の借景となる山「野坂岳」は「敦賀富士」として名高い。(ふるさとの富士の中では「越前富士」こと「日野山」も禅寺の書院庭園の借景となっている)
お庭から眺めるとその山頂は少し丸みを帯びており、敦賀市内のどこからもデンとしたその山塊は存在感をもっている。
敦賀市のページより引用しました。
かって、この地にやってきた平重盛が、歌にも詠んだように昔からこの野坂山は「敦賀富士」とも称され、人々に親しみ崇められてきました。
この山の頂上までの道を初めて開かれたのは、弘法大師だとも伝えられています。諸国を廻っておられた弘法大師が越前の国この敦賀の地まで来れれた時、西南の山に美しい紫色の雲がたなびき、まばゆいばかりの光が輝いている様子をご覧になり、「これこそ仏のおわす霊地なり」と光のさすほうめざして登られ、そこで小さな仏像を発見されました。
以来、この野坂山は「嶽権現」を祠る山として、ひろく近在近郷に知られ、昔からこの山に登る人のあとが絶えなかったといわれています。
大阪発06:56の列車に乗り米原に08:49着く。09:05発の北陸線に乗り換え敦賀に09:53着。10:04発の小浜線は2両だけの車両編成で乗客も少なく全くのローカル線である。
敦賀から2つ目の粟野という駅で下車する。もちろん無人駅なので切符は車掌さんが回収していた。立花駅から片道2、520円の運賃である。今日のように単独行であれば車を使って高速道を走るよりは割安となる。
10:15野坂岳の最寄りの駅なのに粟野駅で下車したのは私一人。駅前広場から目指す富士の三角形の山頂が美しい。
10:20出発。線路に沿って左へ進み交差点を左折してJRのガードをくぐる。ここからは青少年自然の家まで舗装された自動車道を約1.7km歩く。
一番奥のバンガローの横から山道(正面参道)が始まる。道はジグザグにうまくつけられ、又よく整備もされ踏まれ広いので非常に歩きやすい。取り付きは例によって杉などが植林されている林道を歩く。
横の谷筋にはつりがね草の花が咲く。南に向かって登るので朝の太陽が眩しく、風もないので9月半ばとは言え暑い暑い暑い。
山頂には国土地理院の一等三角点が設置されています。粟野駅の標高は70m 登山口は約190m、往復 10kmの登山が楽しめます。
大汗をかきながら谷に沿った道を20分も登った頃、トチの木地蔵さんが祠られており敦賀の名水がこんこんと湧き出している。 冷たい名水を一口飲んで元気モリモリの気分になる。
このあたりから雑木の自然林となる。トリカブトやホトトギスの花もあちこちに私の目を楽しませる。行者岩を越え25分で一の岳に着く。
麓から秋祭りであろう、タイコの音がするので振り返れば敦賀の市街が手に取るように眺められるし正面には二の岳、三の岳のむこうに山頂が見える。 二の岳付近は径30cmくらいの素晴らしいブナの林がつづき涼しい日陰をつくる。中には目を見張る太いものもある。ブナの林を過ぎると急登が待っていた。
三の岳を越し山頂に近づくにつれ大きな木が無くなり炎天の暑さ。山頂ちかくに避難小屋を兼ねた小屋があり野坂嶽権現社が祠られている。小屋からすぐの所が山頂である。
一人占めの山頂は気持ちがいい。シャツを脱いで裸になり誰にも気兼ねなく汗をぬぐう。 さわやかな風、かすみがかかるが360度の展望、敦賀名物の鯛の寿司の弁当を頂きながらしばらく登頂後の良い気分を楽しむ。
野坂岳は標高913.5mで敦賀三山(野坂岳、西方ヶ岳、黒籠山)の一つ。
福井嶺南の野坂山塊の最高峰としてそびえている。山頂付近は笹や芝草で覆われ、秋の訪れを感じさせてくれるススキの穂が出始めている。よく晴れていれば敦賀湾や琵琶湖が望める所であるが今日は残念ながら霞んでいて見えない。
福井の方が登ってこられたのでしばらくお話を聴かせてもらったが、福井にもいい山がたくさんあるので「登ってみねの」(方言ことば)と言う。
今日は山頂で長居をしてしまった。
13:50もと来た道を下る。(別の道もあるらしいがやぶ漕ぎで相当なアルバイトをしいられるそうなので止めた。)粟野駅に15:25着。5分前に列車は出たばかりで次の列車を1時間も無人駅で待つはめになる。誰もいない古びた駅舎でただ一人、暑い一時間だった。
栃の木地蔵 名水の水場でしたが今はもう出ていない
一、二、三の岳 四の岳が山頂
岡山の美作、美作富士も似たような呼び名の岳、 「一の丸」「二の丸」「三の丸」とつづき「三の丸」が山頂
山頂は広く
360度の展望が。