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一人で決める


 

 子どもの独立や配偶者に先立たれた時、いつまでも立ち直れない人がいます。
家族を絶対不変の自分が所属するグループだと思い込んでいると、がっくりきて、どうにもならなくなります。
家族なんて期間限定の仲間です。
 夫の肩書なんて″おまけ″です。子どもだって、生涯、寝食を共にする相手ではありません。
地域や社会のいろんなグループに所属することで自分という人間が形成されるものです。
自分で決めて、自在に活動することができていますか?


先輩の姿みる


 人間以外の哺乳類は、自分でえさを取れなくなったら群れから離れて死んでゆきます。
年寄りになるということは、人間だけができる難しい行為なのです。
次の世代に活躍の場を譲り、ほどほどに感謝され、時に「古い≒いらない」と言われることにも耐えながら、
成熟した人間らしさを出す力が求められます。
 50代後半〜70代半ばまでは高齢期準備期。「年寄りになる」という成長を獲得しなければなりません。
「残りの人生」ではないのです。
この時期、自分の視野の半分は先輩のほうになければなりません。
75歳の人が、先輩を見て″自分もあんなふうに育たなくちゃ″と思うようになれば素晴らしいことです。
 理屈はその通りでも、私自身、そんな年寄りになれるかといえば、自信はありません。
そのためにどうするかってことです。やはり死を正面から考えることが必要です。
お世話になった人が亡くなったとき、その人がどんなふうに生きたのか、自分はどう死にたいのか。
 真剣に考えてみてください。


日々の営みを


 脳は使っている限り育ちます。物忘れが多くなるのは使わないから。
私のように週サイクルで動いている人は日付を忘れ、
逆に日付でロ―テーションを組んでいる看護師さんなどは曜日が分からなくなることがあります。
脳は自分に合わせて便うことが大事です。本や新聞を読んでいるだけではだめです。

 昨日は油揚げのみそ汁だったから、今日はわかめにしよう。
冷蔵車に菜っ葉が残っていたから明日はそれを食べよう。
 短期記憶をいつも操作する生活は、認知症を防ぎます。
逆にいえば、こうした生活がないとボケてしまうのです。
明日のために今日の生活を整える。そんな日々の営みが大切です。


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