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中級登山学校で賑わう蓬莱峡


生信先生は難しいルートを
さっさとリードし
竹久さんも
アイゼンで4本も登り


とき : '98年4月19日(日)
ところ: 宝塚・蓬莱峡
参加者: L.森本孝司、内田裕子、日野慶三、谷関等、竹久光子、生信良明、中川好治 中級=森本栄子、荒木香

 9:15発、蓬莱峡経由有馬行の阪急バスに乗車。(日野、生信、竹久、内田、谷関、中川)
 いい天気で、まるで初夏。座頭谷で下車し岩場に向かう。
 日野さんはここは初めて、谷関さんは何年ぶりかとのこと。大屏風にはもうたくさんのクライマーさんが群がっており、森本、生信さんも真ん中あたりを登っているところ。
 とりあえず、ゼルバンを着け、アイゼンを履く人ははいて、登攀準備。間もなく森本、生信さんが下りてみえたので、3隊で登ることになる。
 森本・内田・日野、谷関・竹久、そして生信・中川。中川は膝が痛いので、ここに至るまでは登る気はなかったが、なんとなしに登らしてもらう気になっていった。
 生信先生は達者や。がんがんリードし、楽しそうに登っていらっしゃる。私はちょろちょろ登らしていただく。がんがん、ちょろちょろ、ガンガン、チョロチョロ、・・・この繰り返し。
 5本目に奥の凹角、これは抜け際が難しい。上から5mあたりでハーケンに頼らねば越すのが難しいところ、先生はハーケンを使わず、両足を大きく開いて微妙なバランスでずり上がり。
 中川は3mmスリングでなんなくすり抜けたが、こんなところ先生はよくまあフリーで越したものだと感心する。
 同ルートを追っかけて登る人あり。最近めきめき技術を磨いている日野さんだ。あとで聞いたらこんなような話や。
 「私でも行けますかな?」
 「うん、行ける行ける」とは森本さん。
 私なら、まだちょっと無理やと思うけど、とお話するが。やっぱり、上部3mあたりで詰まってしまった。そこで、すぐ上にいる中級登山学校のコーチさん (このはな山の会)に「すんまへん、ザイル投げてください。まだ、うまく登れないものですから」とお願いし、ザイルをつかんで登ったとのこと。
 それにしても日野さんは勇敢や。

 この日、労山の中級登山学校は大屏風岩で2ヵ所、小屏風岩で1ヵ所でトレーニングしていたが、コーチの森本栄子さんは登りたくてむずむずされていたようで、昼休み、生信・中川のパーティに入って1本登られた。
 内田さんは森本パーティで、アイゼンをはいて難しいところを登っていた。すごいすごい。竹久さんもアイゼン着けて頑張って登った。「4本も登った。4本 なんて今まで登ったことがありません」と満足そうにお話になった。それもダイレクトルートなど、結構難しいルートだったが。

 淀屋橋の前田安助さんに久しぶりに会う。「今年は屏風(穂高の屏風岩)に行くよ。村瀬が連れてってやるというてるんや」と元気いっぱい。
 「少し肥えたんとちがうか」
 「うん、68kgぐやいや。5kgぐらい太ったかな」と腹をさする。
 「腹のあたりはなかなか落ちんよ」
 へらず口をたたきながら缶ビールを飲む。
 中級登山学校は午後2時から男25kg、女20kgのボッカで座頭谷から宝塚へ山越え。淀屋橋のみなさんもボッカらしい。
 いっぱいいただいた我々は小屏風の取り付きでボルダーを楽しみ、バスで帰途につく。生信先生は単車、先生はいつまでも若い。
             記: 1998.4.28 中川好治

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