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富 士 山


日本一の山 標高 3,776 m


1996年07月21日の記録へ  
1998年08月03日の記録へ  

1996年07月21日

 快晴

route

高山病に山頂を断念

 少し頭痛かなと九合五勺の小屋に着いた時に感じたくらいだったが、シャツ一枚で寒さもなんのその景色を楽しんでした。小屋に入りゆっくりしようかなとしていると頭痛が始まった。

 手の先も冷たさと紫色となり身体もだるくなり、これは高山病になつたと自覚した。今回の富士登山のリーダーをしていた私ですが、同行の皆さんに「高山病のためここで下山します」と伝えた。

2時間で五合目へ走る

 身体が弱いので高山病にかかることは予想して酸素ボンベなど持参していたがこれくらいでは改善しない。

走って下る。

 八合目の診療所で酸素を10分くらい吸引ごまたまた走って五合目の駐車場へ下山した。身体は正直で、五合目に着くとケロッと高山病の症状が消えた。宿の予約が無いので車の中で一夜を過ごす。

1996年07月22日

 晴れ

宝永山へ同行者を迎えに登り

 朝食抜きで宝永山へ登りました。崩れる砂利にめげず2時間くらいで登頂。

強風の中、宝永山の稜線をめぐり下山してくる仲間を待ちました。下山してくる4人と10:40再会、合流して5合目までワイワイいいながら下山した。

めでたしめでたし!!!


1998年08月03日(水)

 晴れ

 大阪からの登山バスは富士スバルラインを、河口湖から五合目まで約30km走り駐車場に夕刻到着した。
登山は八合目の山小屋で仮眠をとり、ご来光に合わせて山頂へ登る夜間に歩く行程です。

 一昨年の登山は九合五勺の小屋までで高山病に苦しみ下山したので
もう今回はどんなことがあっても山頂に行くぞという決意で臨んだ。

高山病

 やはり、標高3000メートルを超えると
頭痛が始まり、3500メートルを過ぎたころより吐き気が加わり
仮眠の小屋でいただく弁当もほとんど食べられなかった。

 2時間たらず横になっただけの仮眠後
暗闇の中ヘッドライトを点けての歩行はよれよれであった。

 数歩歩いては止まり、また歩き、むかむかとしては座り込んでしまう。
何人にも追い抜かれながらも、一歩一歩すすむ。

 座り込む、立ち上がる、座り込む、また立ち上がりの繰り返しだったがご来光の
寸前に山頂に着くことができた。




 なんとか山頂でご来光を拝むことができうれしいな。


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