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西 方 ガ 岳

福井県敦賀市 標高 764.1  m


2010年06月09日(水)

  曇りのち晴 気温 25℃

 昨日の雨も止んだが、出発時には降りそうな気配がします。

梅雨の前線が南から押し寄せてきていますが北ほど天気が良いこの頃、楽観気分ですが傘持参で名神高速を北上します。

 北陸道に入る頃、青空がのぞいてきました。
エェィ エィ

山

新日本海フェリーの船上より「西方ガ岳」

 富松センター(06:10) → 名神尼崎IC(06:20)  → 敦賀IC(08:10) →  常宮神社登山口P(08:30) →
行程 ~ 出発(08:45) ~ 奥ノ院(09:05/10) ~ 銀命水(09:50/10:00) ~ オウム岩(10:20/30) ~ 山頂昼食休憩(11:05/12:15) ~ 登山口(13:45) ~
 →  ニューサンピアつぬぎの湯(14:35/15:40) →  往路を戻る → 富松町(18:10)
距離 車走行 400 km   歩行  約      km

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気比の松原付近にて「西方ガ岳」

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神社から登山道に入る所に眞福寺(鉄塔の下の岩が奥ノ院)

奥ノ院展望岩

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岩棚の中に奥ノ院

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奥ノ院の前に直立岩

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ブナ林の中を行く

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銀命水
(岩の間から流れ出ています、水中にオタマジャクシが泳ぐが飲んでみる)

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オオム岩
(25m隣の呼石から呼びかけるとよく応えると説明版にあり)

  同伴者曰く 「オオム返し」という言葉があるでしょう、だからオオム岩というのと違う?
なるぼどね!!!

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山頂の展望岩から「サザエ岳」を望む

岐阜県から来ましたと言われる9人パーティはサザエ岳へ縦走、私たちはここから往路を引き返します。

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 岐阜のパーティの皆さんがカモシカ岩に見えます。
直線距離は735m
ここから一度下りまた登り返します(約40分)

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 ささゆり

 薄いピンク、純白
まったくタイミング良くささゆりに遭遇です

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ハマヒルガオ

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ツクバネウツギ

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コアジサイ

 

 ホテルニューサンピア敦賀

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(厚生年金事業振興団より2008年11月に民間移行しリニューアルオープンした)
国民の財産を安く売りさばくとは困ったものだ。

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 「つるがの温泉」かと思いきや「つぬがの湯」と表示されています。

 つぬが  ツヌガアラシト

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「JR敦賀駅まえに建つ『(つぬがあらしと)像』です。
 敦賀は古代三大要津(港)のひとつ であり、笥飯浦(けいのうら)と呼ばれていました。日本書紀崇神天皇の条に、朝鮮半島任那国(みまなのくに)の王子であるツヌガアラシトが来着しました。
  (AD32年頃)その王子の額に角のようなものができていたので人々は「角額の人」といい、都奴賀とも書き、 さらに転じて角鹿(つのが)と記すように なりました。恐らく冠か冑の類をかぶっていたものと思われます。   
 その約100年後に角鹿国が定められ、さらに角鹿海直(あまのあたひ)という海事担当の役人が特別に配置されました。大陸 に向かって、日本海と敦賀の港が古代より重要視されていたことがわかります。この角鹿が敦賀の地名起源になったといわれ、気比神宮境内摂社にツノガアラシ トを祀る角鹿神社があります。
 さらにこの角鹿神社東側の地区を戦後、角鹿町と名付け、町内にある中学校を角鹿中学校と呼び、この敦賀の地名起源伝説を今日に伝えていま す。
 芭蕉は、元禄2年(1689年)に『奥の細道』の道中、この敦賀の地を訪れているが、敦賀の古名の角鹿にちなんだ句を詠んでいる。
“ふるき名の 角鹿や恋し 秋の月”
この句は気 比神宮境内にある『芭蕉翁月五句』の中に刻まれています。 」

参照ページ

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ささゆりに めぐり逢いたし 山登り


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