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三足富士(江嶺山)

みあしふじ (えみねやま)


2008年11月11日

江嶺山
山頂付近まで針葉樹が植林の三足富士、下は国道435号線

  山口駅から国道435号線で2~30分くらいの所に位置する、山々に囲まれているので展望の場所は限られている。国道435号線の旧道大石の里から見たのがこの写真でここを少しでもはずれるとこのようなピラミダルな姿ではなくなる。

 年配の方に尋ねると ”「三足富士」と知っている者はもう少ないな” と、”三歩歩めば見えたり見えなくなったりするので「三足」富士だ” とのこと。
なるほど なるほどそう言うことか

 地図に見える馬路峠に菅 江嶺(すが こうれい)の歌碑がありこのように刻まれている

  あずま路に、あほぐ高嶺の面影の、ここに移りて三足富士の名

 命名者、菅 江嶺が仰ぎ見たのはこちら側でなくて江嶺山の南の里、美東町長田からです。

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★ 基準点コード TR25131231001 
★ 点名 夜舟山  種別等級 二等三角点 地形図 山口-山口
★ 緯度 34°10′47.5236 経度 131°23′05.2479 
★ 標高 549.06 m
★ 所在地 山口県美祢市大字長田字江嶺21

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山頂に松の大木が見える

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車で山頂に行ける西鳳翔山

「三足富士」と命名した画家、菅 江嶺――動画はここをクリック(11分)

毛利藩のお抱え絵師
菅 江嶺展
 開催期間:平成20年11月1日(土)~9日(日) [休館日:4日(火)]
開館時間: 9:00~17:00 入館は16:30まで
会場:美祢市歴史民俗資料館 2階

パンフレットより

菅 江嶺(すが こうれい)
略歴

  菅 江嶺は、宝暦12年(1762年)美祢郡長田村(現美祢市美東町)の吉敷毛利家の家臣・長井氏に生まれた。通称を庸七、字は義郷・江嶺と号した。綾木村阿部氏から妻を迎え一男一女をもうけた。江嶺は、幼少のころから絵を好み、子供とは思えないほど巧みに絵を描いたという。
若年のころ沈南蘋の画風に傾頭したが、17歳から、山県鶴江・岸駒・鏑木南湖などに教えを受けた後、江嶺独特の画風を作った。
文政11年(1827年)、藩主斉元の御召出しにあずかり65歳で藩のお抱え絵師となり、長男に長井家を譲り別家して菅姓を名のった。
江嶺は、人物・山水・花など何でも描いたが、特に富士の絵を好んで描き、「江嶺富士」の名を博している。
天保7年(1836年)藩主逝去後長田村に戻り、各地を巡って多くの作品を残している。嘉永5年(1852年)91歳の高齢で永眠した。
大作としては、明林寺・正現寺の襖絵、真長田八幡宮の絵馬や、漢陽寺(周南市鹿野)の「三尊十六羅漢画」(十九幅)などがある。
江嶺の弟子には、大野葭州・佐伯圭山・岸龍山・朝倉南陵などがいて、防長画壇に多くの人材を輩出した。

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 南山麓にある小学校の校歌にも取り入れられている江嶺山

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