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箱庭富士
11月5日(水)晴れ おだんごから 倉吉のお土産「打吹公園だんご」を友人からいただいた。竹串に3個の小さなおだんごが刺されているこのだんごの由緒書きに「箱庭富士」の紹介がありふもとは桜の美しい公園とある。 倉吉市のシンボル 打吹山(標高208m)全体が、シイ・カシ・マツ・ツバキ・スギ・モミ・山ザクラ・コブシなどの自然林でおおわれている。南北朝時代には守護大名山名氏がこの打吹山に伯耆の国の要衝として城を築き、城下町の基礎を作ったが城は秀吉により赤いタ日を背に落城したという。
城下町倉吉の観光目玉は重要伝統的建造物群保存地区に指定されている赤瓦と白壁土蔵の家並みである。この玉川に並ぶ商家は美しい。散策のあとその名も「土蔵蕎麦」と名乗る蕎麦をいただく。手打ちの十割蕎麦は本物であった。
赤瓦と白壁土蔵の家並み うしろは打吹山 土蔵蕎麦屋さんを出て(13:40)南にすぐ市役所や博物館がある。この西側が打吹公園でさくら名所百選(4,000本)、日本の都市公園百選、全国森林浴の森百選と華々しい。 公園の入り口には案内板もあり全体図が判る。羽衣伝説の天女が水浴したという羽衣の池などもある。公園の西の端にある小動物園を過ぎると勝入寺という曹洞宗のお寺がある(14:00)。
羽衣池 勝入寺 門の前の道を行くと青く苔むした石段が続く長谷坂の道となる。少し息を切らすくらいで歩くと15分で長谷寺に着く(観音霊場、天台宗の古刹、今から1200年もの昔に開山したと伝えられている。堂内にある、夜毎額から抜け出して畑を荒らしたという奉納絵馬がある)。おばあさん二人が般若心経を「観自在菩薩…」と始めるところであった。私も小声でそっと経を口ずさむ。
長谷坂 長谷寺 すぐ上に正面展望広場と呼ばれる城の櫓を模した展望台があり、ここから倉吉の市街地が展望できる。伯耆富士(大山)も見えるそうだが残念ながら今日は雲が多くて見えない。(14:20)
正面展望台 倉吉市街 年配で地元の人が休んでおられたので声を掛けると「どれくらいで山頂だとかこの道を行けばいいとか」ご親切に道案内をしていただいた。そして今日は山頂まで歩かずここで引き返すとおっしゃっていた。いい散歩道があって羨ましいことだ。 かって天守閣のあった山頂には打吹城址の記念碑があるのみ。(14:30/40)残念なことに展望もよろしくない。樹を整理して展望の良い広場にしたらと思うのは私一人だろうか?
山頂の天守閣跡 道標 下りは東側へ進み、武者溜、子供の森(フィールドアスレチック広場)を経て市役所へと向かった。(14:55)
遊歩道 箱庭富士で約一時間の有意義な散策の時間が持てたと思う。倉吉での滞在は三時間だけだったが、ご親切に山の案内をしていただいた市役所観光協会で帽子を忘れていたのを車まで持って来て下さるなどとても親切で人情味のある町だなと思う。 街中で季節になれば、ホタルの乱舞が見られるというすばらしい倉吉。周囲には、東郷、羽合、三朝、関金と四っの温泉郷があり、中でも三朝温泉は世界有数のラジューム含有量を誇っている。今晩は東郷湖のほとりの温泉宿にくつろぐこととなる。 打吹山の天女伝説 その昔、この山のふもとに天女が舞い降り、羽衣を小枝にかけ、清水で水浴びをしていました。それを見ていた農夫は、そのあまりの美しさに、天女を天に帰すまいと、羽衣を奪ってしまいました。天に昇れなくなった天女はしかたなく農夫の妻となり、やがて二人の子を生んだのでした。 そして何年かたったある日、天女は農夫が隠していた羽衣を探しだし、可愛い子どもたちを残していくことを不憫に思いながらも、天に帰っていったのでした。 残された子どもたちは母を慕い悲しみました。そして母が音楽を好んでいたことを思いだし、毎晩この山に登っては、鼓を打ち、笛を吹いて、いとしい母をよび続けましたが、ついに母は帰ってはきませんでした。 いつしか人々は、夜ごと伎楽の音が聞こえてくるこの山を、打吹山と呼ぶようになったということです。 <鳥取県広報課メルマガ 第13号を引用> 観光 |
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