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美濃富士(烏帽子山)


2005年03月31日 

 晴れ 気温13℃ 強風

yama

県道139号線沿い、
湯葉神社より雄大な美濃富士の山容

上石津町教育委員会が発行した冊子
「道をたずねて」によると・・・

 「時山盆地に入ると真正面に一きわ高く悠然と聳える山が目につく。
この山は烏帽子岳といい、土地の人は専ら熊坂山と呼び、この里の象徴として日夜仰ぎ、歌い語らいつがれてきた。.....つづきは下記をどうぞ

   冊子内容を見るにはここをクリックして下さい 

 通称「熊坂山」、美濃富士と呼ばれるのはごく新しい。
どなたか著名な方が烏帽子岳を望み「美濃富士」と表現されてからだそうな。

行程 : 北尾根コース、鉄塔道を登る
@登山口(10:30)〜A鉄塔(11:05)〜Bシャクナゲ群生(11:50)〜(12:30)D山頂(13:30/13:40)C好展望地(13:50)〜@登山口(14:55)・・・・E三等三角点

01

基準点コード TR35236637401 点名 烏帽子岳
種別等級 三等三角点 地形図 名古屋
標高 864.77 m   彦根東部
緯度 35°13′41″.1039 経度 136°26′03″.6612

アクセス : 名神関が原IC 〜 国道365 〜 県道139 〜 時山橋登山口
      (関が原ICより登山口まで約20km) 

時山橋

 牧田川に架かる赤い時山橋を渡れば、右に駐車場がありここに駐車する。正面には三国岳を望み、左の色とりどりのバンガロウの並ぶ道を抜け、中部電力三岐幹線(高圧線)の保守路を利用して登る。

三国岳は岐阜、三重と滋賀県の三つの県境にある

 斜面はとても強く、保守路はジグザグに付けられている。この富士山頂は岐阜県と三重県の県境尾根上にあり、三重側からも登山道が開かれている。

 上石津町からは山頂から北へまっすぐ切れ込んだ沢を遡行する山頂への最短のコースもあるが岩肌が崩れやすく、遭難者も出ており入山は禁止されている。

<写真はAの地点ょり撮影>

 急斜面の山に囲まれたわずかな土地に時山の集落がある。

 

シャクナゲ群生地を過ぎ最後の急斜面を行けば最高点872mに着く。

少し東に、三等三角点があり標高は865.1m

花−−イワカガミも登山道にたくさん自生しており花時は楽しそう

一帯は自然環境保全地域として指定
ホンシャクナゲ及びベニドウダンの群生地

残雪を置いた伊吹山

 山頂より10分くらい降りた所には大岩が露出しており、ここが好展望<Cの地点>の所である。春かすみのため展望はもう一つであるが、山頂に白く残雪を置いた伊吹山が北方に見え、左へ鈴鹿の山−−霊仙山、御池岳、藤原岳−−と180度のパノラマが眺望できる。

 時に、幸運に恵まれれば加賀白山も望めるらしい。


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 熊坂長範屋敷と流れ七社の縁起

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 上石津町の細野の地、三重、滋賀、岐阜三県の分水嶺をなすところに標高865メートルの山がある。その姿は烏帽子のようにも見え、美濃富士の名もあり秀麗そのものである。この頂上付近の段地や岩窟を「長範屋敷」といって、長範一族がここにたむろし、時刻を定めて山を降り旅人を襲い、金や品物を奪ったという。こんなことからこの地を「時村」と、呼ぶようになった……と伝えている。

 さてこのようにして奪った財宝は岩窟の倉屋敷に貯え、これを貧しい農民たちにおしげもなく分け与えたという、この熊坂長範は、「義経勲功記」によると、「承安三年(1173)3月義経16才奥州下向の際、熊坂長範とて天下に隠れなき強盗あり、諸国のアプレ者共集め押入り強盗を以て事としけるが、此程美濃尾張の間に俳回し金銀を奪い財宝を掠領す」とあり、「謡曲熊坂」には、「長範というのは泥棒ではあるが、何百人もの手下を率きいている有名な総大将で、正に大将軍の風格があった」と、うたっている。

 時・堂之上の湯葉神社の奉納流七社の縁起板(文化十一年秋奉納)によると、「治承2年(1178)成年熊坂長範淡路国葦原岳の麓、岩屋大明神の八社の御神体を盗みこの烏帽子岳の隠家宮の平に祀ったがこの霊像は、夜な夜な怪光を放ったので驚いて川上に投じた」とある、「義経勲功記」による承安3年より「緑記板」による治承2年は、その間五年を経ているのみであるし、長範が豪商吉次を襲い牛若丸に殺されたという赤坂の宿と、この熊坂山とは近く、隠れ住むには絶好の場所といえる。

 さて、怪光に驚き川に投じた神々は、一社は土民がこれを拾い上げ、細野の地、神明堂に奉納、その後水害を受けたので現在地に遷座した……という。遊波神社と昔は書かれ、時の里の郷社現在は湯葉神社で祭神は一之宮遊波大明神であると伝える。別の神々は更に流れて二之宮流彦大明神として多良の惣社に(現在の宮、大神神社)、三之宮は長彦大明神として一之瀬で拾い上げられ惣社に、四之宮麦彦大明神は流れ流れて萩原に祀られ、五之宮は牧田惣社麦房大明神として、六之宮七頭大明神は、伊勢の国の住人に拾われて三重県の川合柑惣社に、そして七之宮は篠塚大明神として養老町橋爪にと、牧田川筋に拾い上げられ祀られている。正に流れる神々の典型といえる。

 長範の住んでいたと伝える熊坂山に登ると頂上附近には、高山植物の「しゃくなげ」が群生し数百年を経たと思われる老樹が岩壁より枝を差し出し春になると見事な花をつける。昭和54年12月このあたり一帯は自然環境保全地域として指定された。ここより東南に少し下ったあたりは、ゆるやかな斜面をなし、むかしは背丈を越す熊笹が生い繁っていた。このあたりを長範屋敷と呼び御神屋敷址・御宮ノ平屋敷址・倉屋敷址・射場址・馬場址・の名が残り、この屋敷のすぐ下には、具足かぶと岩・刀研岩・腰掛岩・半鐘岩と呼ばれる奇岩があり、つき立った屏風岩や立て岩、武将がすっくと立ったかと思われる、よろい岩などの偉容はすばらしい。かぶと岩を動かすと腹が痛くなるといい伝えられ、その下には財宝がかくされているという。

 尚、物見松、手植松というのがあり、盗品を上げおろししたという、「熊坂荷付」という名も残っている。また地元では長範を義賊として親しみ長範は盗んだ品物をいつも貧しい家々へそっと投げ込んで行った、とか、はては馬に乗って″もらい風呂″にきたなど、人間長範の面目を偲ばせる話しが今もって伝えられている。寛政10年になる「時八景」の一つ″熊坂の暮雪″には

「熊坂や、名も、ものすごき、暮の雪」

とあり、「聞説長範数斗酒」と、その酒豪振りも、詩歌にうたいつがれている。

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参考:大垣市・上石津町・墨俣町

 2005年2月21日、大垣市役所で西濃圏域1市2町合併協議会が開催され、全ての合併協定項目の協議が終了致し、続いて、2月25日に1市2町合併の調印式が行われた。

 

 


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