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南部片富士(岩手山)

なんぶかたふじ(いわてさん)
標高 2,038 m
一等三角点 岩木山


2005年09月25日(日)
   雨のち晴れ

 岩手山は岩手県の最高峰

  富士山に似て、その片側が削げているように見えること から「南部富士」と呼ばれている。
(盛岡側から見れば右半分が削げている)

古来から信仰の山で、山頂、滝沢村、盛岡市に巌鷲山大権現(岩手山神社)が祭られている。

 はるばる関西からやって来たのに体調悪く、小岩井農場よりの展望のみ。 (>_<) 

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南部片富士(小岩井農場 まきば園にて)

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 小岩井農場は1891(明治24)年の開設。共同創始者である小野義真(日本鉄道会社副社長)、岩崎彌之助(三菱社社長)、井上勝(鉄道庁長官)の三名の頭文字をとって「小岩井」と命名されました。
その後、1899(明治 32)年からは岩崎久彌が小岩井農場を継承し場主となり、その責任のもとで最も信頼できる者を経営にあたらせることとなりました。

 開設当時、小岩井農場周辺は不毛の原野でした。
冷たい西風が強く吹く、極度に痩せた酸性土壌と湿地が人間による開発を拒んできたのです。そのため、新墾地の土壌改良を行ない、湿地に暗渠排水網をはりめぐらせるとともに、圃場や施設を守るための土塁を築く等、基盤整備に数十年を要しました。
中でも防風・防雪林の植林は、やがて農場面積の三分の二を目標として、本格的にスギ・アカマツ・カラマツの植林を行う山林事業へと発展してゆきます。

http://www.koiwai.co.jp/about/rekishi.html より引用

旅行作家 山本鉱太郎

 薄命の歌人石川啄木は、郷里を「石をもて追われるごとく」出たのだが、啄木は終生、故郷を歌いつづけた。

ふるさとの山に向ひて言ふことなし

ふるさとの山はありがたきかな

 山とは、おそらく岩手山であろう。
啄木のふるさと渋民は今は玉山村に合併されたが、盛岡市より北に20キロほど離れ、西に岩手山、東に姫神山が見えるひなびた山村である。

 私の縁つづきの者が渋民に近い厨川で長いこと社会運動をしているので、私も時たまこの地を訪れるが、岩手山はいつ見ても美しいと思う。サイロのある牧舎のかげからのぞいた残雪の岩手、陸稲やヒエを刈りとったあとの紅葉の岩手。

 岩手山は那須火山脈につらなる漂高2041メートルの3重式コニーデ火山で、一名岩手富士、または南部富士と呼ばれている。
私がこの山に登ったのは夏であった。
登山口は、松川口、網張口、滝沢口、平笠口など幾つもあるが、温泉好きの私は網張口を選んでみた。網張というのは岩手山の南西麓にある高原のいで湯で、すぐ近くに秋田駒ケ岳や雫石盆地のひろがりが、さらには盛岡や北上盆地も眺められるというまことに雄大な展望の温泉である。

 網張の国民休暇村に泊まった翌朝、犬倉山、姥倉山、黒倉山を縦走し、五時間後についに南部冨士の山頂にたどり着いたのだった。
外輪山の南側にあって浸食されて荒々しい山容を見せていたのは、今しがた通ってきたばかりの鬼ガ城、南側の高さ200メートルほどの絶壁は屏風岩だ。
そしてこのタマゴ形の外輪山に囲まれて高山植物の茂る八ツ目湿原、お釜と呼ばれる火口湖、お苗代という火口原湖などが足下に望まれた。

 麓から見る単純明快な美しい山容とは異なり、なんとも複雑怪奇な、おどろおどろとした光景だ。
ところが、岩手山の東北側の溶岩流を見るにおよんで私の驚きはさらに増した。溶岩は暗黒色で多孔質をなし、るいるいと積み重なって、コケをのぞいては植物をも全くよせっけないという荒涼たる風景だ。
私はふと、宮沢賢治がこの焼き走り(溶岩流)をうたっていることを思い出した。

喪神のしろいかがみが薬師火ロのいただきにかかり

日かげになつた火山礫堆の中腹から

長るべくかなしむべき砕塊熔岩の黒

わたくしはさっきの柏や松の野原を

よぎるときから・・・・・・・・

 


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