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杉野富士(墓谷山)

標高 738m


1997年04月04日(土)
 快晴 微風 気温21度

 新緑の杉野富士

 2006年05月31日 撮影 

名峰「横山岳」の一峰

 湖北で有名な山の一つに横山岳(1,132m)がある。山頂から南へ張り出した三高尾根の鞍部が鳥越峠で、この尾根を南東へ進むと墓谷山(杉野富士)へ至る。

 杉野の里への道を進むと、すばらしい山容をしたこの杉野富士が目に飛び込んでくる。(写真参照)

 昨年YMCC主催(私の入っている山岳クラブ)のバスハイクで横山岳に登った時、山頂からこの富士を眺め(標高は738mなので見下ろすことになる)登りたいなと思っていた。

 杉野富士も趣味の人以外にはあんまり登られていない。私も登山道がわからないため、バスハイクの折りにも大変お世話になった「長寿庵」旅館の松本学堂氏に道筋をお聞きしました。

写真は杉野川と「杉野富士」

十一面観音の道標が登山口

 尼崎を7時にマイカーで出発、名神から北陸道を乗り継ぎ木之本ICから杉野へ向かい10時に到着。


 杉野JA手前に十一面観音への道標があるので目印となる。

★ 2006年05月31日 撮影 


ここから寺までは車道を歩く。

「熊が出るでよ」

しばらく行くと二手に分かれるので左へ土の林道へ進む。
犬をつれたおばあちゃんと青年に会い「山に登るんですが・・」と声を掛けたところ「上には何もないで・・何しに行くんだよ?」と言われ、なおも続けて「熊が出るでよ」と。
そこで「熊に遭った事ありますか?」と尋ねると「遭った事ない」との返事。
60年もここに住んでる人が遭った事ないのに「たまたま今日に限り熊に合える訳がない」と私は笑う。
だが内心では「出たらどうしよう」だった。
約25分で標高400mにある南罫寺に着く。

南罫寺縁起

 「当山は桓武天皇の御代(782ー805)東山道江州伊香の郷中之庄なりし頃、伝教大師この地に御来遊せられ南罫寺と号し十一面千手観音菩薩の霊像を彫刻して奉安されたと伝えられる。
時に正月の朝金鶏の声高く聞ゆるに大師大いに喜んで曰くここは弘法の地ならんと金鶏尾根の葉樹の地中に入りて絶ゆると伝う。
 当時は七堂大伽藍があり境内には四十八の僧坊が甍を並べ又本宮横山大明神の神宮寺として繁栄したが応永年間戦乱の禍により殿堂僧坊は兵火に罹災消失し多くの僧侶も離散衰退した。
幸いにも堂宇の一部と本尊及び不動明王と毘沙門天などの諸佛を残し奉安せられる。又境内には歴代住職の供養塔が数多く現存し今尚七尾七谷の寺有地を所有する。
霊場として登拝する人々に心の安らぎを与えられる。」

ブッシュをかきわけ

 参拝後、「お寺の裏手から伸びる尾根を忠実に辿れば良い」と聞いた通りブッシュをかき分け進む。
道は無いに等しく、たまに先人が木に巻いたリボンが残っている。


横山岳も急登の連続であったがこの山も負けずに急坂であり、おまけに道もない。
このような道なき「ふるさとの富士」を登ることは、苦労ものであるが冒険心を刺激され楽しいものだと思っている。

 尾根上と左側は雑木で右側は杉が植林(まだ小さいが)されている。
途中赤いキノコ(アカヤマタケ)がこの時期に群生していたのには驚き。
 お寺から山頂まで約2時間かかる。
頂上には本当に何にも無く三角点と墓谷山と書かれた木札が在るのみ。


杉の木がじゃまして展望にも乏しく、わずかに開けた東側にまだ雪を残した金糞岳(1,317m)が見え、北方の横山岳は木々の間から望めるだけ。

 おばあさんの言われた通り「何にもないでよ」その通りであった。富士を目指さない人には、ほとんど魅力の無いお山であるかも知れない。

下山は北へ

 北の鳥越峠へ向かい10分くらいで分岐を東に取り、尾根を下る。
(直進すれば鳥越峠へ)
尾根の左側は落葉樹だが右側は植林地帯で、一歩誤れば大怪我間違い無しの急降下しているあぶない坂であるが、つばき、桃や山桜も所々に自生しているし展望もあるので気を付けて歩いておれば結構楽しい。
里へ下り立てば、つくしがまっさかり、トラクターの音も高く春耕中で穏やかな春日和であった。
杉野の里は4mもの雪の積もる豪雪地方であるが最近は少ないそうだ。

須賀谷温泉

 この日も近くにある浅井町の須賀谷温泉で満開の桜に囲まれた露天風呂に入り汗を流した。

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