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伊勢富士(堀坂山)

標高 757.4m


2009年11月18日の記録へ

1996年12月30日
 小春日和で暖かく晴れ

 今回は正月号なのでおめでたい「伊勢」にちなんで、その名もずばり伊勢富士に登ったお話しを書いてみます。

 年の瀬もせまった12月30日、ふるさとの富士に惹かれて近鉄電車に乗った。鶴橋8時18分発の宇治山田行き快速急行は、松阪駅に10時14分に着く。
登山口である横滝口バス停行きは毎時12分発なので間に合わないことは百も承知の上であった。

 駅前の観光案内所でレンタサイクルがあるので今日はそれを利用するつもりであった。
ところが年末で案内所は「本日休日」の看板が出ている。しまったと思うがしかたない。
冬の日暮れは早いのと下山の後で松阪市内観光をしたいので、次のバスに乗るため一時間も待っていられない。

タクシーに運賃を気にしながら飛び乗る。
登山口までどれくらいかかりますかと聞くと15分くらいと言われる。いや運賃ですと聞き直すと、五千円くらいと。時間を稼ぐため登山口まで乗りたかったのは山々だけど今日はいい天気だし、歩きに来たのでと口実をつけ登山口手前の森林公園で下車した。三千円の思わぬ出費だった。

 

tizu

 舗装された林道(県道45号線)を約50分歩くと登山口である峠に着く。
途中「おとめの滝」という落差15mくらいの三筋になって流れるかわいい滝が右手にあった。
「ツピーツピー」と鳴きながら、谷を頬の白い黒のネクタイ姿の鳥が飛んで行く。あれあれ、あの小鳥の名前は私の財布と同じだわいー「シジュウカラ」だ。
 峠(468m)から左の尾根筋へ堀坂大権現の鳥居をくぐって山道にはいる。

堀坂山 757.4m

 「堀坂」(ほっさかさん)の名は、山を掘って水銀を産出した故名付けられたとする史書がある。
いまでも地元の老人には「川の水には水銀がまざっているから飲んではだめだ」と言う方もいるそうです。

「伊勢富士」と呼ばれているのは、山頂に富士権現が祀られている故であるそうですが、松阪市内を流れる坂内川(さかない)の川面に映る山型は富士山にも似ており美しい。
松阪市民から親しまれ、市の中心からも近く小中学校の遠足にも登られている独立峰です。

 さて、鳥居をくぐるとすぐに急登が始まる。
道は一本でしっかり整備されているので歩きやすい。近畿の低山は必ずと言ってよいほど杉や檜が植林されていて視界が閉ざされ登山にはうっとうしい限りだ。
杉や檜の山林は、木の実などをあてにしている小鳥や野生動物には住みにくい山であるしキノコも殆どでない。

 バス停から峠まで植林地帯を歩くが、峠からの山道は10分も歩くと、雑木林になり視界が開けてくるのでうれしい。振り返れば、矢頭山が見える。
30分で中間点の展望所に着く。
かっての八幡宮跡地だそうで、銅造の大日如来像が真東を向いて座っておられる。
何故東なのか解らないが、東の方角は視界が良く開けている。
右に五輪塔、左に役の行者が座っている。
不思議なもので仏像さんにお会いすると素通りできないもので、手を合わしお祈りをする。

 少し行くと左への直登コースと右へのまき道に分かれるが左の急坂を10分も登ると、二の峰でここにも同じ大日如来さんが東を向いて座っていらっしゃる。
印を結んだ座像で高さは1.5mくらいで展望所のところの像と同じくらいの大きさです。
仏像に触れたことは今まであまりなかったのですが、今日はほっぺにさわってしまった。

 ここから山頂はすぐ目の前にあり、登山口から45分で山頂に立つ。
山頂の祠は立派な石垣の上に鎮座されており、360度の展望をほしいままに出来るいい場所である。
この日は小春日和で暖かく、そよ風は気持ちの良いくらいだった。北に経ガ峰、東に津・松阪、南西に白猪山・局ケ岳・三峰、西に大洞山に伊賀富士(尼ケ岳)、北西に青山高原を望むことが出来た。

弁当をひろげ、うっとりとした時間を過ごす。
祠の北側で夫婦らしきペアーがガスコンロでラーメンと「おこげ」がどうのと、にぎやかにやっていたが、しばらくすると静かになったので下山したのかと思い振り返ると静かにお昼寝中。なぜか離ればなれになって。

私も食後のうたた寝とゆきたいところだが、松阪の旧跡をも散策したいので早々に出発することとした。

登って来た道を通り、横滝口バス停に2時30分に着いたので山頂から80分かかったことになる。
バスは毎時54分発の便一本のみなのでそれを待ち松阪へ戻る。


松阪商人の町

 散策と言っても今日は1時間くらいしか時間がないので城跡の見物と、駅までの古い町並みを通り抜けるだけにした。

松阪は「松阪牛」と江戸時代に「松阪木綿」で栄えた「松阪商人」の町で有名である。

1588年、蒲生氏郷(がもううじさと)によって築かれた城跡には、かって三層の天守閣や櫓があった立派な石垣や礎石が残っていました。桜の木や藤、銀杏などの木もたくさんあり花の時期にはいいなと思いました。

国学者で有名な本居宣長が12歳から亡くなるまで暮らした旧宅「鈴屋」が本丸跡に移築されており、宣長記念館と並んで建っている。
城跡の東隣には御城番屋敷が当時と同じ形で残っており、その一戸が公開住居とされている。

梶井基次郎の記念碑があり、その碑には「城のある町より」の一節が刻まれている。

 青空文庫

「城のある町より」はここで読める。




近鉄「櫛田」駅方向からの伊勢富士をカシミール3Dで検証




美しい山容です、正に富士に似たり伊勢富士

伊勢にお住いのK様からの伊勢富士について頂きました情報と画像を掲載します

 撮影地は、当初予定していました「櫛田町」(近鉄櫛田駅方面)から北北東へ約3kmの西野々(にしのの)町バイパス(下記マップ参照)付近に変更しました。
堀坂山をできるだけ「富士」に見えるようにと場所を探しましたが電柱、鉄塔、建物等障害物も結構多く困った結果です。
 



なお、偶然にもまだ残っていた「松阪市全図」の堀坂山部分を参考のために送信します。
ここには、カッコ書きで「伊勢富士」の記載があります。
昭和40年(1965年)発行の地図です。

当地図は現在でも「〇〇市」として発行されている系列のものだと思い、該当しそうなものを書店で見てみましたが、伊勢富士の記載はありませんでした。
また、地方の低山登山ガイドブックにも堀坂登山の案内はありましたが、やはり伊勢富士の文字は見当たりませんでした。

撮影地点からのパノラマ ここをクリック  ここに戻るには表示ウインドウを閉じます
 
2019年3月 by komichan

<< とても素晴らしい写真と情報をありがとうございました >>

2009年11月18日(水)
 晴れ

 堀坂峠の標高450mくらいから山頂(757.4m)までは標高差約300mです。
伊勢山上の行者岩をめぐり堀坂峠より堀坂山を往復しました

tizu

GPSの軌跡

graf

伊勢山上より
右が掘坂山、左は観音岳

anai

(堀坂峠の説明板)


堀坂峠登山口の鳥居
 
途中、こんな道が


大日如来
 
役小角(えんのおづぬ)

通称を役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれます

sankaku
一等三角点
 
山頂の祠

pano1s

東松阪方面の展望
(クリックで大画面)

pano2s

南西より西の展望
(クリックで大画面)

乙女の瀧

 この伊勢富士は、松阪より見ると正に富士型をした富士に見えます。 地名から名づけなら松阪富士と呼ばれる。

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